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Que sera sera Diary

「アラフォー・ダイエット・ストレッチ・食事改善・精神病」の奮闘…徒然日記

父の命日

こんばんは、ちょっと気疲れしてます、かえるのじゅです(o∀n)


昨日、12月11日は、父の3回目の命日でした。

仏式ならば去年が3回忌なんでしょうが、私の父は法名を嫌っていて本名で亡くなりたいと生前から言っていたので、神葬祭に母がしました。

仏式では何回忌と言うのでしょうが、
神様になった父は
何年祭と言うようになります。



3年前の冬。

私は今いる実家から車で約1時間のケーユー(元カレ)のところに泊まり込んでいました、何日も。

その頃母が大腸がんで入院してるにも関わらず。

父が元気だから、大丈夫だと思っていた矢先にメールが入りました、父から。



「熱が下がらない、帰ってきてくれ。」



父は我慢強い人で、よっぽどじゃない限りこんなことは言いません。


私は危険だと察知し、すぐ帰りました。


父が布団で寝てました。


39°ぐらいの熱が1週間ぐらい続いていると。

近くのコンビニからお粥を買ってきて温めて食べてたと。



その日は偶然土曜か日曜で、救急に行きました。


診察は肺炎。


薬を貰い、その日は帰りました。


2日後。

やっぱり熱は下がらないし、呼吸するのも大変な状況。


また夜に救急へ。

それから入院。

入院した日は父の誕生日の次の日だったので、
11月26日だと記憶しています。


父が入院して2日後に母が退院。


大腸がんの手術だった為、絶食なども長い期間ありましたが、
父は


「リハビリだ」


と言って、母を自分のところに来させてました。

当時、体力の落ちてた母は、500ペット5本をようやく持てたそうです。




日に日に弱って行く父。



口だけだった人工呼吸器が、顔面を覆い、



そして、



動けなくなって集中治療室へ。




肺まで人工呼吸器を入れられ、喋れない・動けない。



父は心臓近くの血管にステントを7本も入れていて、血液サラサラになる薬を飲んでいました。


そのせいで、ガンかどうなのかの細胞摂取が出来ませんでした。



亡くなる当日の13時くらいだったでしょうか…




医者から

「肺まで入れている人工呼吸器からガンの細胞が見つかりました…」

と。



今まで肺炎だと思っていた治療は無意味だったのです。




もう、手だてはないと。



入院からここまで2週間でした。



父は、姉が子供ができないことを知り、10年前にタバコをやめていました、願掛けに。


毎日、1万歩歩いてました、寒い冬の日もかかさず。



それなのに……




来年の春、東日本大震災で痛手を受けた家に帰ろうねって言ってた矢先に……





薬の投与が無くなった父は、夕方、息をひきとりました。

2013年12月11日。



母の記憶は定かじゃないのですが(パニクってて)、
お家に帰してあげたいと言う一心でした。


救急車?で実家まで帰す段取りをつけて、父を救急車に載せるとき…



救急での初診で受けたN先生がいました。


私は

周りには聞こえないように

N先生には聞こえるように



「あの時入院させてもらってれば……!!!!」



と呟きました。






わかってるんです。

癌と分かってから癌の治療に至るまで1~2ヵ月掛かることは。



それでも。


それでも。



死ぬ間際に撮ったレントゲンは

両方の肺が真っ白でした。



進行のとても早い、稀な癌だったのです。





今でもお骨があります。





母は、永代供養にしようと決めているみたいですが、なかなかお骨を手放せません。


あっという間に逝ってしまった父。





母の自由にさせたいと思っています。







周りにとても支えられています。


従兄弟のおにーちゃんが、命日に持ってきてくれたカレイ(手は弟の手です)。

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次の日に送られてきた香川のミカン(写真向かって左)。

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月命日には毎月欠かさず榊を持ってきてくれてる父の兄の叔父。




どれだけ伝えられるかな…m(*_ _)m